清沢 哲夫『無常断章』「道」
此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
アントニオ猪木 「道」
この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足がみちとなり、
その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
皆さんお元気ですか?
私は日々勉強しておりますよ、それと、掃除と・・・。
実は6・7・8月に私どもの会社が”新しい道”を歩き始める事が出来るように考えているのです。
そのような意味で、”人との触れ合い・言葉・人の気持ち”の意味を、改めて一つ一つ考えております。
以前、吉田修一さんの本、”悪人”の中から一節をご紹介いたしました。
「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人間がおらん人間は、なんでもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分がつようなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした眼で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ。」
実は、以前、私も、少しだけですが、そのような気持ちになったことがあったのです。
当然ながら、会社の”運営”と言う事にも”情熱”を失っていたわけなのです。ある人と、ご縁を持つ事で、”文・活字”に興味を抱き始め、そしてまた、或る方に「この吉田修一さんの本を読んでみたら。」と勧められ、その本の中の言葉に、感じるものがありまして、「もう一度自分を見つめなおしてみよう。」と思い、そして、やっと行動に移す時期が来ている訳なのです。
範疇をすごく狭めまして言い換えれば・・・
私の周りにあるライブ・作曲・アレンジ・会社運営に対して、一番大切なものは”情熱”です。
その”情熱”を支える”something”が、今少し、見え隠れしてきました、と言う事でなのです。
「好きこそものの上手なれ。」と申しますが、私の年になりますと、「意義」等と言うものを矢鱈求めたがる、のも正直な気持ちなのです。
「人に会い、人に習え。」この言葉が私には一番大切なものです。(^^♪
(上の写真は、浦上川のwalking roadを歩きながら、色々な事を考え写真に収めて参ったものです。)