僕は小さい頃、喘息だったらしい、・・・らしい?・・・、そう、今は全くそんな気配さえしないし、僕自身がそのような状態だったことすら覚えていない。
僕がまだ小さい頃、お袋は、僕の喘息発作が出るたびに、背中におんぶして、長い距離を、お医者さんの元へ連れて行ってくれたらしい、しかも発作が出るのは夜で、寒い冬に多かったらしい。
感謝だ・・・・。
そんなお袋も今年で78歳になる。最近、一つだけ心配になることが出てきた。
”火”の取り扱いだ。
今日も椎茸を湯がいて、真っ黒にしてしまった。たまたま、その場に僕が居たから大事に至らずに済み、本当に良かった。実は、もう何回もそのような出来事があり、その都度、”注意”と”御願い”をしているのだ。
今日は、しっかりお袋とお話をして、今後どのようにすれば良いかを考えてもらう事にした。何故”考えてもらう”等と言う言葉を使うかというと、お袋に考えてもらう事で、僕と二人で乗り越えていかなければならない、という切実さを実感してもらいたいが為なのだ。僕一人が事を進めてしまっては、結局は”何も変わらない”というように思ったからなのだ。
以前からIHに変えるべきだ、とは言ってはいたのだが、お袋は「電気代がかかる・・・。」「器具・工事代がもったいない・・・。」「はいはい、判りました。」等と言いながら、全く物事を真っ直ぐに考えようともしなかった。
しかし、今日はしっかりお袋の目を見ながら、次のように話してみた。
僕「今までのお袋の生き方を否定するわけじゃないんだよ、ただ、ちょっとだけ目線を他の方に向けてみないかな?”電気代がもったいない”と言うお袋の気持ちはわかるけど、その代わり、安心が手に入るんだったら、それもいいんじゃないか、と言う様に考えてくれないかなあ。」
僕「お袋の昔からお付き合いのある仲の良いお友達に”息子がこういうように言っているけど、あなた、どう思う?”などと相談してみてくれないかなあ。」
お袋「・・・・・・・・」
お袋「分かった。IHにしてみようかな、お友達の〇〇さんにお電話してみようかしら。」
僕「有難う。」
僕が小学校3年生の時、当時、大阪市内で親父・お袋・僕と3人で暮らしていたのだが、何故か急に”お袋もいつか死ぬんだ”と、知った時、もう涙が溢れ出て止まらなかった。お袋が「それは、まだまだ先の事よ。」と言ったのを思い出す。
お袋の気持ちを傷つけず、そしてお袋が安楽に、そしてこれからも長い間生きていけるように、今こそ真剣に、勇気を持って真正面から取り組んでいきたいと思う。