この1か月、仕事に嵌り、毎日毎日、外にも出ず、コンピュータの前に座り、考え、悩み、ピコピコとキーボードを打っていた。
それでも、少しずつは本を読んではいた。2冊ほど読了したが、久しぶりに感動を覚えるものに巡り合えた。時間を作って皆に話をしてみたい。
30年ぶりに素晴らしい本と出会うことが出来た。と言うより、共感できる人と出会えた、と言った方が良いだろう。この感覚は・・・初めて僕の師匠の酒井潮のハモンドオルガンのバラード”I remember Pepe”を聴いた時の感動、体の底から震える感じ、そして胸が高鳴る感じだ。
頃は明治時代、脱亜入欧と共にグローバリズムに進み、合理化・自由・個人主義に邁進していく現代、それとともに、苦しみは自我と共に目覚め、味合わざるを得なくなって来た事から話は始まる。吝嗇の哲学では解き明かすことが出来ない事を明確に説明してくれている。
この本は夏目漱石を題材にしているのだが、以前、私が書いた吉田修一氏の”
悪人”の中の一節
「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人間がおらん人間は、なんでもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分がつようなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした眼で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ。」
とあり、失うものがないのが強さだ、と勘違いをしている人に対して警鐘を鳴らしている。
そして、今回は”まじめ”という言葉について氏は警鐘を鳴らしている。
最近”まじめ”という言葉は褒め言葉ではなくなったという意見がある。「まじめだね?」って言うのは、からかいの意味が込められているのだ。
そうでは無い。
矢張り、真面目に生き、まじめに悩み、まじめに他者と向かい合う。そこに何らかの突破口があるのではないかと氏は仰る。
カオスと化している一部の世界では自我の目覚めから自己中に陥りがちである。でも自己中と自我の目覚めとは違う。
自己中は自分の身に向けられたベクトルであるからして、周りの事は気にもかけないらしい。その反対に自我を追求する人間は自分自身に悩み、他人との関係に悩む、そしてその為に壁を作って閉じこもってしまう人も多いらしい。
まさしく自分であるかの如く感じてしまった。
しかし氏は、其れではいけないのだ、まじめに他者と向かい合い悩むことは必要だと仰る。
今日この日から自分は大きく方向を変える。また来た道に戻る。しかし前に進む。大きな力を得ることが出来た本に巡り合えた事に感謝。そして本を読むことを教えてくれた恩人に感謝したい。
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